北杜の野菜を精進料理でいただく会」ご好評をいただきました。

先日行いました「北杜の野菜を精進料理でいただく会」
ご参加いただいた皆様から感想をいただきましたので、一部ご紹介いたします。

「本当の精進料理の由来が知ることができてよかった」
「お皿を持ち、支えて食1つ1つ器と手にとって食べるだけで、いつもよりゆっくりと素材を感じながら食べれた」
「ゆっくりと感謝しながら食べることを改めて思った」

16名もの方に精進料理を体験していただけたことはもちろんですが、「食事を大切にする」ことの意味を皆さんが自然と感じてくださり嬉しく思います。

今回のイベントの中心となり、活躍してくださった輿石真帆さんからの感想もお伝えいたします。本当にありがとうございました。

「本日は精進料理の会、ありがとうございました!私自身も作ることから教えて頂き、 参加の皆様と精進料理をいただく時間を共有できたこと、とても勉強になりました。 精進料理の会は 毎日の食事では難しくても、たまにはゆっくり、素材や命をいただくことに気持ちを向ける、そんなきっかけとなる会となっていくことができる、と思いました。」

精進料理は、作ることも大切な修行の一つです。輿石さんにはより深く精進料理について体験していただけました。

今回のメニューはこちらです。
旬を迎えて甘くおいしい、大根や蕪や白菜などを使いました。

大根と油揚げの炊き込みご飯
大根とかぼちゃのお味噌汁
昆布と野菜のきんぴら
白菜と株の浅漬け
ハヤトウリの漬物
しいたけの甘煮

炊き込みご飯が人気でした。

ここで、精進料理について少しお話いたします。
精進料理と聞いて、どんなものをイメージしますか?
「植物性の食材だけを使ったものが精進料理」と思われていた方も多いかもしれません。

先日の記事でも申し上げましたように、精進料理は、技術はもちろんですが精神性、考え方に重きをおきます。食物=いのちであり、それを根底に置き、食材、料理やお給仕、食事作法を通じた在り方が重要なのです。

今回体験していただいた、食べるための作法。これは『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』と言います。

「大に攪き及び飯食を歠りて聲を作すことを得ざれ(音を立てて食べない)」
「汚たる手もて食を捉ることを得ざれ(汚れた手で食事をしてはいけない)」
といった、現代の食事マナーにも通じるものもありますが、もっと細かい所まで決まりがあります。例えば、お椀を持つ位置や、その時の手の高さや向きにまで決まりがあるんですよ。

これは、食材(=命)や手間暇をかけて食事を作ってくれた人に対して、食べる側も相応の敬意を払うべきという考えからきております。完成された美しい所作です。

現代は簡単に食べられるものにあふれています。
テレビを見ながら、スマホを眺めながら、食事を何気なくとってしまう時もあるでしょう。忙しすぎて、食事が全ての後回しになってしまう日もあるでしょう。そんな時代だからこそ、食を大切にすることや、その食材がどこから来たのか。食事が目の前に届くまで、どれほどの人の手がかけられたのか。おもいを馳せる時間を持つことも良いのではないかなと思います。

次回「北杜の野菜を精進料理でいただく会」は令和2年1月20日(月)を予定しております。みなさんの「アクション」につながる行事を、ともに修行できるよう、諸準備して参ります。